「リオ2016パラリンピック」からトライアスロンが新競技として加わります。
右太もも下から足がなく義足という秦由加子さんは、パラリンピック競泳の日本代表候補でした。
ロンドンでの日本代表入りを逃し、その後トライアスロンに転向。
リオパラリンピックの新種目として決まったトライアスロンが、彼女のパラ競技選手としての人生を変えました。
トライアスロンに転向したきっかけや、普段の秦由加子さんはどんな人?調べてみました。
目次
秦由加子さんプロフィール
秦由加子(はた ゆかこ)
出典:https://www.marsflag.com
生年月日:1981年4月10日
出身地:千葉県
所属:マーズフラッグ / 稲毛インター
障がい:疾病による右大腿1/2以上欠損
《 トライアスロン成績 》
2014年
- ●5月 世界トライアスロンシリーズ横浜大会 パラトライアスロンTRI2女子 優勝
- ●7月 宮城国際トライアスロン仙台ベイ七ヶ浜大会 パラトライアスロンTRI2女子 優勝
2015年
- ●5月 世界トライアスロンシリーズ横浜大会 パラトライアスロンPT2女子 優勝
- ●7月 ITU世界パラトライアスロンイベント(2015/イゼーオ) PT2 4位
- ●2015年8月 ITU世界パラトライアスロンイベント(2015/リオ)PT2 5位
2016年
- ●4月 ASTCアジアトライアスロン選手権(広島県廿日市市)PT2 優勝
- ●5月 ITU世界パラトライアスロンイベント(横浜)PT2 2位
- ●7月 ITU世界パラトライアスロン選手権(オランダロッテルダム)PT2 5位
【 障害クラス説明 】
- ●PT1 (一般の出場者は「TRI1」と表記)
- 対麻痺患者、四肢麻痺患者、ポリオ、両足切断などで下肢を失った人
- ●PT2~4(一般では「TRI2」から「TRI5」)
- 膝下から下肢を失った人を含む高度の下肢障害
- 多発性硬化症、筋ジストロフィー、脳性麻痺、両下肢切断あるいは複数肢の麻痺を有する人
- 麻痺や障害などで肘上から、あるいは肘下から上肢を失った人、腕障害または両上肢の障害を持つ人
- 膝下から下肢を失った人を含む中程度の下肢障害
- ●PT5(一般では「TRI6」)
- 完全あるいは部分的な視覚障害者
秦由加子さんの障害クラスは「PT2」となっています。
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パラトライアスロン競技ってどんなの?
距離は全体で25.75kmあります。オリンピック競技と比べて半分の距離となります。
・スイム 750m
・バイク(自転車)20km
・ラン 5km
※バイクには、「立位」と「座位」があります。
秦由加子さんは競技用の義足を装着して走る「立位」です。「座位」は手回しで漕ぐタイプのバイクを使います。
■トランジット(スイムからバイク、バイクからランへ移る準備時間)も競技時間に含まれます。
スイムからバイクへ、いかにスムーズにできるかも勝負の一つです。
《 トライアスロンの大会 》
- 世界選手権
- 大陸別選手権
- インターナショナルイベント
ITU(国際トライアスロン連盟)が設定したポイントを順位に応じて獲得していくというシステム。
このポイントで年間「ITU世界ランキング」が決まります。大会に数多く出場して好成績を収めることがポイント獲得の条件となります。
秦由加子さんの世界ランキングは、2015年7月に1位を記録。
リオパラリンピック前の2016年現在の世界ランキングは6位です。
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障害者としての自分を受け入れるまでの苦悩
小さい頃は活発な子供だったという秦由加子さん。
3歳から10歳まで習っていた水泳は、「選手コース」で習うほどの実力。
13歳の時、骨肉腫を患い右太ももから下を切断することになってから秦由加子さんの気持ちは沈みがちになります。
※骨肉腫とは、筋肉や神経、骨などに発生する悪性腫瘍(ガンの一種)のこと。比較的若い人がなりやすいといわれています。
他人の視線が気になって何をするにも後ろ向きな気持ちで過ごす日々でした。
スポーツもするどころではなかったといいます。
24歳、社会人として3年目の頃、運動不足を解消するために水泳を再び始めることに。
それでも人目が気になる秦由加子さんは、プールサイドでは足を隠すことばかりを気にしていました。
2008年27歳の時、秦由加子さんに転機が訪れます。
偶然(秦由加子さんは必然だったと感じたそう)インターネットで見かけた障害者スイミングクラブ「千葉ミラクルズ」の発足とメンバー募集。
スタートメンバーとして参加することに決めた秦由加子さんは、そのクラブで今までの気持ちを覆す思いをします。
障害を持つ選手たちの堂々とした姿に「自分はなんて小さなことに悩んでいたのだろう」と衝撃を受けました。
パラトライアスロンを始めたきっかけは?
「千葉ミラクルズ」に参加をしていた頃、知人の紹介でスイミングクラブ「稲毛インター」でも練習に励むようになります。
このスイミングクラブでは、国内トップクラスのトライアスロン選手たちが所属。
秦由加子さんは、この時はまだ水泳一筋でした。
2012年のロンドンパラリンピックを目指して猛特訓、しかしロンドンパラリンピックは出場が叶いませんでした。
そんな時に、リオパラリンピックでパラトライアスロンが新種目として採用されることが決まります。
「稲毛インター」で練習していた自分に運命を感じた秦由加子さんは、トライアスロンへの転向を考えるようになります。
久しぶりの地面を蹴る感覚に感動!
トライアスロンに挑戦したいという思いがあり、東京障害者総合スポーツセンターで陸上練習を行う「ヘルスエンジェルス」の練習会に参加。
ただ見学のつもりが、技師装具士に「じゃあ、走ってみようか!」と競技用の義足に付け替えてもらいました。
カーボン製のバネ義足を着けて走る選手たちを美しいと感じたという秦由加子さん。
それをいざ自分の足につけてもらうとなると、最初は恐る恐るでした。
走ることを避けていた18年間でしたが、地面を蹴ると義足の振動が体に伝わり、全身が宙に浮く瞬間に感動。
忘れられない記憶となった18年ぶりに体験した「ラン」、トライアスロンへの転向を決意した瞬間でもありました。
秦由加子さんは、このことがきっかけで2013年から本格的にトライアスロンを始めます。
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秦由加子さんの素顔は?普段はどんな人?
秦由加子さん現在は、キャノンマーケティングジャパンに勤務してます。
平日は、朝5時半から2時間のトレーニング、その後に出勤です。
大学卒業後から、現在までフルタイムで経理の仕事をこなす秦由加子さん。
仕事はデスクワークなので、体を休ませる時間として捉えているそうです。
そして勤務後、再び練習という毎日を送っています。
秦由加子さんの上司は、なんとお父さん。
彼女が近くで競技するときには応援に行ったりして。
決して大きくない体で大きな外国の選手と戦っている姿を見て励みになりますね。
秦由加子さんの周りには応援してくれる人たちがたくさんいます。
一番近いところに父という上司がいるなんて、練習で疲れている時も弱音が吐けない?それとも言い易いのでしょうか?
気になりますね(笑)
秦由加子さん、競技へのモチベーションをあげるためにこだわっていることがあります。
それは「ピンク色」を取り入れること。
靴紐、ネイル、そして義足もピンク色です。
「自分の姿を見てトライアスロンをやりたいと思ってくれる人がいたら」
過去の自分のことを思っての発言。
障害者スポーツとの出会いは、秦由加子さんの人生を大きく変えました。
彼女がトライアスロンを続ける原動力は、自分のように小さなきっかけを見つけてほしいという願いなのかもしれませんね。
秦由加子さんが懸命に泳いで走る姿をみて、きっとどこかで誰かが救われているのだと思います。
パラトライアスロンの日程
9月10日・11日(ブラジル時間)となっています。
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「リオパラリンピック」秦由加子さんの成績は?
秦由加子さんは、パラトライアスロンで
6位入賞となりました!
おめでとうございます!!
まとめ
・秦由加子さんは、骨肉腫によって右足太ももから下を切断して義足で生活をしています。元々はパラ競泳の日本代表候補でしたが、ロンドンパラリンピックには参加できませんでした。
・リオパラリンピックでトライアスロンが新種目に加わることになり2013年に転向。競技を始めて2年で2015年には世界ランキングは1位と実力となりました。
・秦由加子さんは普段は社会人として会社に勤務しています。早朝と勤務後の練習は欠かさないという徹底振りでパラトライアスロンの日本代表にえらばれました。
リオパラリンピックに賭ける思いは誰よりも強い秦由加子さん。
ロンドンパラリンピックで悔しかった思いがリオで発揮できますね。
パラトライアスロンを見るときは、秦由加子さんのピンク色の義足も注目!応援していますよー!!
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