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リオ2016パラリンピック閉会式
日本のパフォーマンス良かったですね!
今回の閉会式パフォーマンスは事前に出演者と制作チームも発表されていました。
それでもどんな形で日本をアピールするのか気になっていましたよね。
そのパフォーマンスのなかで使われていた曲
「東京は夜の七時」
この楽曲、知っている人と知らない人とで世代が分かれてしまいましたね。
原曲を知っている人は気づきましたか?
歌っている人がちがう??
なのでリオパラリンピック閉会式版「東京は夜の七時」のこと調べてみました!
リオパラリンピック閉会式の内容
「東京は夜の七時」が印象的だった閉会式の日本のパフォーマンスを振り返ってみましょう!
閉会式のパフォーマンスのテーマ
ポジティブスイッチ
前向きに生きる障害者たちの姿がまぶしいステージでした。
事前に発表されていた3人のパフォーマーの存在が印象に残る舞台構成で見ていて本当に感動しました。
パフォーマンスの最初に登場したのが義足モデルのGIMICO(ギミコ)さん。
骨肉腫のために右足を切断、義足を武器にモデルとして活躍しています。
そして義足ダンサーの大前光市さん。
ダンサーとしてこれからという時に交通事故で左足を失います。
左足を義足にしてプロのダンサーとして活躍しています。
もう一人は、ダイアログ・イン・ザ・ダークというワークショップに関わる檜山晃さん。
生まれつき目の見えない檜山晃さんが、暗闇を通して視覚以外の感覚を感じてもらう体感型のアトラクションの案内人です。
>リオパラ閉会式の檜山晃の職業は何?活動内容や視覚障害のことも
三人三様の魅力をもったパフォーマーが2020年の東京パラリンピックに向けていいパフォーマンスを披露してくれました。
この閉会式で印象的だったのが音楽ですよね。
音楽監督を務める椎名林檎さんの選曲のセンスが光っていました!
曲のタイトルは「東京は夜の七時」
この曲に決めた経緯はパフォーマンス参加の檜山晃さんの言葉からだったといいます。
「東京は夏の夜がいい」
この言葉を聞いて椎名林檎さんが閃いたのがこの曲。
レトロな曲のようでいて、エレクトロな近未来の要素も入っている曲調は、今回のパフォーマンスにぴったりでした!
東京は夜の七時の原曲は?
この楽曲は1993年にリリースされた曲です。
「東京は夜の七時」
ピチカート・ファイブ
ボーカル:野宮真貴
【ピチカート・ファイブ】は、1984年~2001年まで活動していた音楽グループです。
メンバーは1994年の時点で2人となり音楽活動をしていました。
- 小西康陽:ベース、ギター、キーボード、作詞作曲
- 野宮真貴:ボーカル(3代目 1990年~2001年解散まで)
《 旧メンバー 》
- 高浪慶太郎(ギター、キーボード、ボーカル)
- 佐々木麻美子(ボーカル)
- 鴨宮諒(キーボード)
- 田島貴男(ボーカル、ギター、ハーモニカ)
1984年当時に流行っていた「渋谷系」音楽の中でも人気のグループでした。
渋谷系:渋谷の輸入版大型レコード店で売れている音楽が当時はオシャレという認識があったことからライターの山崎二郎さんが言った言葉が音楽業界に浸透したもの。
ピチカートファイブの顔と言っても良いのが1990年から3代目ボーカルとなった野宮真貴さん。
彼女のファッションもピチカートファイブの音楽の一つなんですね。
音楽はもちろんですが髪型や服装、何をとっても野宮真貴さんが発信するスタイルは「ピチカートファイブ」になるんです。
そのピチカートファイブの顔を操るのが小西康陽さん。
小西康陽さん、ピチカートファイブ解散後は音楽プロデューサーとして活躍してました。
ちなみに2000年にリリースした元SMAPの香取慎吾さんが歌った「慎吾ママのおはロック」を作ったのはこの人です。
「東京は夜の七時」は、1992年~1994年に放送されていた「ウゴウゴルーガ2号」のオープニング曲でもありましたね。
ウゴウゴルーガ世代は今回盛り上がったんじゃないですか?
私は盛り上がりました!
閉会式で「東京は夜の七時」が使われたことに原曲を歌っていた野宮真貴さんはブログで
リオパラリンピック閉会式で“東京は夜の七時”が流れた~♪
なんだかパラリンピックに参加出来たようで嬉しい気持ちです!
テンション高めの投稿をしてくれていました!
世界の舞台で発信された「東京」という言葉が、4年後にどんな風になっているのかと考えると不思議な感じですね!
リオパラリンピック閉会式で「東京は夜の七時」を歌っていたのは誰?
原曲の「東京は夜の七時」は野宮真貴さんが歌っていました。
今回の閉会式では男性ボーカルでしたね。
リオパラリンピック版「東京は夜の七時」のタイトルは
『東京は夜の七時~リオは朝の七時~』
ボーカル:長岡亮介(浮雲)
「浮雲」こと長岡亮介さんは閉会式の音響監督を務めた椎名林檎さんとも関わりの深い人です。
長岡亮介さんは、椎名林檎さんのバンド「東京事変」のギタリストをしていた人。
「浮雲」という名前は2005年に「東京事変」に加入したときに椎名林檎さんがつけたステージネームです。
長岡亮介さんプロフィール
- 本名:長岡京介
- アーティスト名:浮雲
- 生年月日:1978年10月7日
- 出身:千葉県
- 職業:ミュージシャン、ギタリスト、シンガー、作詞作曲、音楽プロデューサー
「東京事変」には2代目ギタリストとして2005年~2012年まで(東京事変の解散まで)所属。
2000年に椎名林檎さんの兄 椎名純平さんのバンドのギタリストとして活動。
2002年には椎名純平、椎名林檎と「邪(よこしま)」というバンドでリードボーカルを務めています。この頃すでに歌を歌っていたんですね。
椎名林檎さんとは「東京事変」に参加する前、2003年の彼女の3rdアルバムから参加していた人なんです。
閉会式での長岡亮介さんボーカルの「東京は夜の七時」改めて良かったなと思っています。
落ち着いた歌声がエレクトロミュージックに合っていました。
椎名林檎さんが歌ってもおかしくないのに長岡亮介さんに歌ってもらったこと、正解だったのでしょうね。
まとめ
・リオパラリンピック閉会式で「東京は夜の七時」を歌っていたのは長岡亮介さん。音楽監督を務めた椎名林檎さんのバンド「東京事変」でギタリストとしても音楽活動をしていた人でした。
・「東京は夜の七時」の原曲はピチカート・ファイブが1993年にリリースした楽曲。当時人気だった子供番組「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングのうたでもありました。
2020年の東京パラリンピックが近づいてきました。
素晴らしい日本のパフォーマンスが4年後も見られると思うと今から楽しみです!
今回のパフォーマンス制作チームがこのまま東京まで残っていることを祈りますよ。
東京オリンピックと同様に東京パラリンピックも盛り上げていきましょう!