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第88回アカデミー賞の「長編ドキュメンタリー賞」を受賞した「AMY エイミー 」
2011年に27歳で亡くなったイギリス歌手のエイミー・ワインハウスを追ったドキュメント映画です。
映画ではエイミーの生前の生き生きとした姿、ライブ映像なども見ることができます。
亡くなったことを悼むアーティストの豪華な顔ぶれを見ても、彼女の才能の素晴らしさが伺えます。
エイミー・ワインハウスの音楽や夫についてまとめました。
エイミー・ワインハウスの亡くなるまでの経歴は?
本名:エイミー・ジェイド・ワインハウス
生年月日:1983年9月14日
死没:2011年7月23日(満27歳没)
出身地:イングランド・ロンドン
職業:歌手 シンガーソングライター(ソウルミュージック、ジャズ、R&B)
活動期間:2003年~2011年
>>歌手シーアの顔出しNGの理由は病気?私生活や結婚についても調べた!
彼女が9歳の時に離婚した両親は、幼少期からエイミーにジャズやソウルを聞かせていました。
祖母がジャズシンガーとして活動していたことが歌を始めるきっかけになっています。
14歳の時に通っていた名門演劇学校を校則違反(タトゥーとピアス)により退学してしまいます。
退学後、アーティスト養成学校である「ブリットスクール」に入学します。
「ブリットスクール」はイギリス政府が創立した国内唯一の無償学校!
ブリットスクールの出身者は、アデル、レオナ・ルイスなど後のスターが大勢いることでも有名です。ここでエイミーは音楽の才能を伸ばしていきます。
アーティストとしてデビューしたのが2003年のこと。
2003年 アルバム「フランク」でデビュー、イギリス国内67万枚のヒットで有名アーティストに。
2006年 アルバム「バック・トゥ・ブラック」で全英1位を記録した。(全米では7位)
2007年 「バック・トゥ・ブラック」のロングヒットにより年間売り上げ1位のアルバムを記録。
2008年 第50回グラミー賞で主要4部門中3部門と他2部門、計5部門を受賞
(年間最優秀レコード、年間最優秀楽曲、最優秀新人、最優秀女性ポップボーカルパフォーマンス、最優秀ポップボーカルアルバム)
このグラミー賞での授賞式はアメリカ入国ビザの発行を拒否されたために、イギリスから衛星中継で受賞スピーチをしました。
私生活ではスキャンダルだらけで、エイミー自身としてのイメージは最悪の状態でしたが、身を切るように作った楽曲「リハブ」を収録したアルバムの受賞は、これまでのスキャンダルが報われたように思いました。
2011年6月 ヨーロッパツアーを開始します。
セルビアでの野外コンサートでの遅刻とパフォーマンスの酷さから「史上最悪のコンサート」と地元紙に伝えられました。
アルコール依存症の治療に専念するため、全ツアー日程をキャンセル、無期限の活動停止状態になりました。
そして最悪の事態が起こります。
2011年7月23日 ロンドンの自宅で遺体で発見
エイミー・ワインハウスの突然の死に世界中が驚きました。
死因の発表がはっきりしないままでしたが、2013年に再度検死を行った結果、アルコール中毒が原因だということがわかりました。
遺体発見の寝室に2本の空のウォッカの瓶が発見されており、本人が飲んだものとして事件性はないと断定されています。
「まさか!」と「やっぱり!」と複雑な心境のファンは多かったと思います。
亡くなる数ヶ月前からは本格復帰のために頑張っていると報じられていたので残念でなりません!
亡くなった時には、トニー・ベネット、レディ・ガガ、リアーナ、ケイティ・ペリーなど数々のミュージシャンがエイミーの死を悲しみました。
エイミー・ワインハウスの代表曲は?
2006年のアルバム「バック・トゥ・ブラック」に収録された「Rehab(リハブ)」
エイミーを有名にしたのがこの曲、「リハブ」です。当時のドラック漬けの彼女自身を歌った曲なんですが、内容がすごい!
”みんなが私を麻薬中毒の治療に連れて行こうとするんだけど、私は行かない!”
と歌っています。
「リハブ」とはリハビリのこと。実体験を歌にする彼女のスタイル、思い切りがよすぎです!
実際の彼女の苦悩は計り知れないのだけれど、それを吹っ飛ばすような思い切りの良いこの曲は、エイミー人生の一部として今もこうして流れているんだとしみじみとしました。
ジャズシンガーのトニー・ベネットとデュエットした「「Body & Soul」も最高です!
エイミー・ワインハウスの歌の原点、そして大好きな祖母が尊敬していたジャズシンガーとのデュエットは亡くなってしまってから聞くと感慨深いものがあります。
エイミー・ワインハウスの夫はどんな人?
エイミー・ワインハウスは2007年に結婚、2009年には離婚をしているバツイチ女性です。
元夫は、ミュージックビデオ撮影のアシスタントをしていたブレイク・フィールダー・シビル。
結婚前のエイミーはアルコール依存や薬物依存など無縁なクリーンな女性でしたが、元夫の悪い影響で仕事もままならない状態になってしまいます。
2年間の結婚生活も波乱の日々!エイミーのスキャンダルの根源はこの元夫ブレイクにありました。
結婚直後、夫は暴行罪で留置所暮らしになり、夫婦として生活期間は短かかったんです。
留置所暮らしの夫は留置所内の女性と良い関係になり、エイミーに離婚を申し立てたことも!
2009年に夫と離婚はしたものの、すぐに再びよりを戻して婚約するなど腐れ縁状態^^;ですが再婚とはなりませんでした。
元夫は「エイミーのお墓参りをする」という行動をマスコミに撮らせ、ギャラをもらったというウワサもあります。
音楽に無縁な元夫がエイミーのキャリアをどん底に落としたのは誰もが知るところでした。
エイミーが愛した人だけれども、どこを取っても良いところがない男ですね!
エイミーの性格はどんな人?
スキャンダルまみれでイメージの悪い印象のエイミー・ワインハウスですが、音楽を純粋に好きな女性でした。
ジャズシンガーとして活動していた祖母と好きな音楽の話をすることが大好きだった子供時代を過ごしています。
あんなにひどい仕打ちをした元夫をエイミーは浮気をされようが「自分の理解者」だと信じて離婚には消極的で恋愛に対しては一途な女性でした。
エイミーが亡くなる3ヶ月前には元夫は再婚、エイミーも亡くなる前まで映画監督レグ・トラヴィスと恋人関係でしたが結婚は叶いませんでした。
エイミー・ワインハウスが亡くなった年齢は27歳。
ギターの神様ジミ・ヘンドリクス、カリスマ的ロックスターのカート・コヴェインが亡くなった年齢は27歳であったため、エイミーは「27」という数字を気にしていたという話もあります。
>>防弾少年団(BTS)の全米1位は何がすごい?K-POPがアメリカでウケる理由!
まとめ
エイミー・ワインハウスは、ジャズシンガーの祖母の影響もあり歌手になりました。小さい頃からジャズやソウル音楽を聴いていた音楽が好きな女性でした。
エイミー・ワインハウスの代表曲はアルバム「バック・トゥ・ブラック」に収録された「Rehab(リハブ)」、トニー・ベネットとデュエットした「ボディ・アンド・ソウル」です。
エイミーはアルコール依存症などの原因となった元夫との離婚を渋るなど、一度好きになった人を大切にする一途な女性でした。
ドキュメント映画「エイミー」では、エイミーがどんな時も音楽とともにあったということがわかります。
エイミーの音楽をこの映画でもう一度再確認することができます、おすすめな映画です!