リオ2016パラリンピック
車いす陸上競技に土田和歌子さんが出場します。
高校2年生の時に障害を負い、車いす生活をしている土田和歌子さん。
彼女がパラリンピック選手として初出場したのが1994年リレハンメルの時。
競技は「アイススレッジスピードレース」、最初は冬季の競技選手でした。
1998年長野大会では金メダルを獲得。
そして、2000年のシドニー大会から夏季競技である車いすマラソンに転向。
2004年アテネ大会では5000mレースで金メダル。
夏季・冬季のパラリンピックで金メダルを獲得しているベテランのパラアスリートです。
私生活は結婚して一児の母親でもある ”ママアスリート” 土田和歌子さんのことを調べてみました。
土田和歌子さんプロフィール
本名:土田和歌子(つちだわかこ)
生年月日:1974年10月15日
出身:東京都
所属:八千代工業株式会社
障害:脊髄損傷による両下肢機能障害
【 競技成績 】
《 冬季 パラリンピック 》
競技名:アイススレッジスピードレース
●1994年 リレハンメル大会
・100・700・1000mで入賞
●1998年 長野大会
- 1000m 金メダル
- 1500m 金メダル(世界記録)
- 100m・500m 銀メダル
アイススレッジスピードレースについて
※スレッジと呼ばれる「そり」に乗って行うスピードスケートのこと。下肢の障害がある選手のみの競技。
※競技人口が少ないことから国内で行われたのは長野パラリンピックのみで、それ以降の大会開催はされていません。
《 夏季 パラリンピック成績 》
競技名:車いす陸上
●2000年 シドニー大会
車いすマラソン 銅メダル
●2004年 アテネ大会
- 5000m 金メダル
- 車いすマラソン 銀メダル
●2008年 北京大会
- 5000m 途中棄権(クラッシュ事故に巻き込まれたことによる)
- 車いすマラソン 不出場
●2012年 ロンドン大会
- 5000m 6位入賞
- 車いすマラソン 5位入賞
《 その他の大会記録 》
●2001年 大分国際車いすマラソン
フルマラソン 世界最高記録(1時間38分32秒)
●2007年~2011年
ボストンマラソン車いすの部 5連覇
●2010年 ロンドンマラソン 優勝
●2010年 ベルリンマラソン 優勝
●2013年 大分国際車いすマラソン 世界記録更新(1時間38分07秒)※自身の世界記録を12年ぶりに更新
●2016年 東京マラソン 優勝(9連覇)
車いすマラソンについて
距離は 42.195km とフルマラソンと同じ。
3輪タイプの競技用車いすに乗って腕の力で車輪を回して走ります。
車体のコントロールが難しくコーナーなどで重心が不安定になることもあり、熟練した技術が必要です。
車いすマラソンの平均速度は時速31.7km
健常者のマラソン平均速度は時速20.4km
車いすマラソンは健常者フルマラソンより、約10km近く早い速度で走っていることになります。
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土田和歌子さんの障害の原因は?
高校2年生、17歳の時に友人と出かけた先で交通事故に遭いました。
土田和歌子さんはその時の怪我が原因で歩くことができません。
背骨を骨折、神経が傷つき脊髄損傷という怪我を負い、両足が動かなくなりました。
医者から「歩くことができません」と言われショックだったそうですが、重く受け止めることはありませんでした。
入院した病院は、脊髄損傷で怪我を負った患者専用の病棟があり、周りを見れば自分と同じ状況の人がたくさん。
若い子はカラフルな車いすでリハビリ、土田和歌子さんも悩むことなく同じように車いすで自由に動きたいと思う環境にあったのだとか。
その環境の中で、自分自身の障害を受け入れることができました。
リハビリの一環としての車いすスポーツを楽しく感じて、退院後はアスリートになる気持ちが強く残ったそうです。
当時高校生だった土田和歌子さんは、休学していた学校に復学するか悩みました。
障害を負ったことで同じ学校に復学できるかわからないこともあり、退学も考えましたが先生たちの協力で同じ高校に復学できました。
当時は都立の高校で障害をもった生徒を受け入れるということは異例だったそうです。
いい環境に恵まれたことがパラ競技に集中できる結果になったのだと思います。
ここで環境が整わず気持ちが沈んでいたら、きっと今の土田和歌子さんはなかったのかもしれません。
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冬季から夏季パラリンピック陸上競技へ転向
リハビリを続ける中で、陸上のコーチと出会います。
短距離から始めますが、たまたま軽い気持ちで参加した「アイススレッジ」の講習会で素質があると認めらたことで冬季パラ競技選手となりました。
「アイススレッジ」は、競技の歴史が浅いことと、選手も少なかったことで幸運にもリレハンメル大会に出場ができたと土田和歌子さん。
結果は、大きな大会に飲まれてしまったと後悔がのこりましたが、入賞は果たしています。
4年後の長野パラリンピックのリベンジはしっかり果たすことに成功。
金メダル2個、銀メダルも2個と大健闘でした。
しかし、1998年長野パラリンピックで「アイススレッジスピードレース」がなくなることが決定していました。
そこで夏季競技である車いすマラソンへ転向しました。
もともと最初に出会ったコーチは陸上専門でしたし、夏の練習として車いす陸上は経験がありました。
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不運に見舞われた北京パラリンピック
2000年から夏季パラリンピックに出場している土田和歌子さんは、2004年のアテネ大会で金メダルを獲得しています。
金メダルの獲得は、冬季「アイススレッジスピードレース」ですでに果たしている土田和歌子さん。
冬季・夏季で金メダルを獲得した選手というのは日本人初という快挙。
しかしアテネ大会で金メダルを獲得した競技は「5000m」
土田和歌子さんが目指すのは「車いすマラソン」で金メダルです。
次の北京パラリンピックでの車いすマラソンでの金メダルを目標に4年間は厳しい練習をしてきました。
そして金メダルを狙う北京パラリンピックの車いすマラソン前日に悲劇が起こりました。
前大会で金メダルを獲得した5000mの競技中に前を走る選手たちのクラッシュに巻き込まれてしまいます。
レースは途中棄権、肋骨骨折の重傷を負い絶対安静で日本へ帰ることに。
車いすマラソンのスタートラインに立つことすらできなかった北京パラリンピックとなりました。
怪我や年齢も考えて引退も頭をよぎりましたが、車いすマラソンで金メダルという強い想いが勝ち現役続行を決めました。
2012年ロンドンパラリンピックでリベンジを誓いましたが、ここでも先頭集団にいながら転倒するという不運に見舞われました。
諦めずにゴール、結果は5位。
写真の冴えない表情は結果に満足していないからです。
土田和歌子さんはリオパラリンピックで車いすマラソン金メダルを狙います。
4年間の練習やレースの成績も上々です。
あとは本番です!
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妻として母としての土田和歌子さん
2005年にセイコ・ハシモトインターナショナルコーポレーションの担当マネージャーの高橋慶樹さんと結婚。
2006年に長男が生まれています。
ちょうどアテネから北京パラリンピックの間に結婚しています。
あの不運のクラッシュ事故の時には夫婦でたくさん話し合ったと土田和歌子さん。
辛い時期に夫が支えてくれたことで現役続行という選択を取りました。
子供も生まれて子育ての大変さを感じながらも、競技への強い気持ちができたそうです。
競技と子育ての両立は簡単ではありません。
どちらも体を使うし、気を抜けない仕事ですから。
でも、家族はチーム。同じ目標に向かってくれる、ありがたい存在です。
ひとりより2人、3人と力が集まれば、大きな力になります。競技のパフォーマンスにもつながっていく大切な力なんです。
母となって良い方向へと気持ちが向いているのが素晴らしいです。
歴代のメダリストたちは家族がいることで競技への大きな力になっている印象が強いです。
家族を得たことは土田和歌子さんにとって競技へのモチベーションを上げてくれたんでしょうね。
これは障害者も健常者も変わらない気持ちです。
競技に向かう土田和歌子さんを家族が支えてくれることで、念願のリオパラリンピックでの金メダルが近づいてきています!
リオパラリンピック 車いすマラソンの日程は9月18日(ブラジル時間)です。
応援しましょう!
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リオ五輪「車イスマラソン」土田和歌子さん結果
車いすマラソンの土田和歌子さんの結果は4位入賞でした!
おめでとうございます!
まとめ
・土田和歌子さんは、高校2年生の時の交通事故で骨髄損傷となり車いす生活を送るようになりました。
・夫は2000年に所属していた先の担当マネージャーをしていた高橋慶樹さん、現在10歳になる長男がいます。
リオパラリンピックで金メダルが期待されている土田和歌子さん。
ですが簡単に「金メダルが期待」と言えない深い想いが彼女にはあります。
怪我やアクシデントを乗り越えられたのも家族がいたからだと思います。
車いすマラソンの実績も実力も十分あります。
土田和歌子さんの満足のいく結果であるように応援したいと思います!