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「東京パラリンピック2020」のパラ陸上「車いすマラソン」と「トライアスロン」の日本代表選手 土田和歌子さん!
「東京オリンピック2020」開会式では、車いすに乗って聖火を運んでいましたね^^
土田和歌子さんは「冬季・夏季大会」出場の二刀流パラリンピアンで両大会の金メダリスト!
夏季大会は5度目、パラリンピック出場合計は7度目というベテランアスリート!
そして東京パラリンピックでは2種目(車いすマラソン・トライアスロン)に出場し競技でも二刀流に挑戦します!
「ママアスリート」・「夏冬二刀流」・「2競技二刀流」と肩書がすごすぎるパラリンピアン土田和歌子さんのことを調べてみました。
目次
土田和歌子さんの障害の原因は?【東京パラ2020】車いすマラソン・トライアスロン選手
土田和歌子(つちだわかこ)
- 生年月日:1974年10月15日
- 出身:東京都
- 所属:八千代工業株式会社
- 障害:脊髄損傷による両下肢機能障害
土田和歌子さんは、夏季・冬季のパラリンピックで金メダルを獲得しているパラアスリートです。
そして一児の母でもある ”ママアスリート”。
冬季大会には2度の出場(リレハンメル・長野大会)、
夏季大会には4度の出場(アテネ・ロンドン・北京・リオデジャネイロ)というベテランパラリンピアンでもあります!
土田和歌子さんの障害は『交通事故』による怪我が原因、
怪我によって『歩くことができない』という症状となりました。
高校2年生、17歳の時に友人とドライブに出かけた先で交通事故に遭いました。
背骨を骨折、神経が傷つき脊髄損傷という怪我を負い、両足が動かなくなりました。
医者から「歩くことができません」と言われショックだったそうですが、重く受け止めることはありませんでした。
入院した病院は、脊髄損傷で怪我を負った患者専用の病棟があり、周りを見れば自分と同じ状況の人がたくさん。
若い子はカラフルな車いすでリハビリ、土田和歌子さんも悩むことなく同じように車いすで自由に動きたいと思う環境にあったのだとか。
その環境の中で、自分自身の障害を受け入れることができました。
リハビリの一環としての車いすスポーツを楽しく感じて、退院後はアスリートになる気持ちが強く残ったそうです。
当時高校生だった土田和歌子さんは、休学していた学校に復学するか悩みました。
障害を負ったことで同じ学校に復学できるかわからないこともあり、退学も考えましたが先生たちの協力で同じ高校に復学できました。
当時は都立の高校で障害をもった生徒を受け入れるということは異例だったそうです。
障害者を受け入れてくれるいい環境に恵まれたことが、現在までパラ競技に集中できる結果になったのだと思います。
ここで環境が整わず気持ちが沈んでいたら、今の土田和歌子さんはなかったのかもしれません。
>>【パラカヌー】瀬立モニカの障害の原因は何?成績や性格はどんな人?
パラリンピック二刀流!土田和歌子さん夏・冬のメダル数まとめ
土田和歌子さんが、パラリンピックで獲得したメダル数は、
夏と冬、金・銀・銅メダルを合わせて
合計 7個!
《冬季大会》
土田和歌子さんがパラリンピックに初出場したのは、1994年 冬季リレハンメル大会のとき。
このときはメダル獲得とはなりませんでしたが、4年後に開催された長野パラリンピックで念願のメダルを獲得!
《夏季大会》
夏季大会での初出場は2000年のシドニー大会のとき。
実は1998年の長野パラリンピック(冬季)で金メダルを獲得した「アイススレッジスピードレース」競技がなくなってしまいました。
そこでシドニー大会から「車いすマラソン」に転向をしました。
土田和歌子さん「冬季パラリンピック」メダル数と成績
競技:アイススレッジスピードレース
冬季パラリンピックでのメダル数は、合計4個
- 金メダル 2個
- 銀メダル 2個
長野パラリンピック(1998年)
- 女子1000m 金メダル
- 女子1500m 金メダル
- 女子100m 銀メダル
- 女子500m 銀メダル
「アイススレッジスピードレース」とは
スレッジと呼ばれる「そり」に乗って行うスピードスケートのこと。
下肢の障害がある選手のみが出場できる競技でした。
競技人口が少ないことから国内で行われたのは「長野パラリンピック」のみで、それ以降の大会開催はされていません。
長野パラリンピック後、「アイススレッジスピードレース」がなくなってしまうことから夏季大会「車いすマラソン」へ転向しました。
土田和歌子さん「夏季パラリンピック」メダル数と成績
競技名:車いすマラソン・5000m
夏季パラリンピックでのメダル数は合計 3個
- 金メダル 1個
- 銀メダル 1個
- 銅メダル 1個
●2000年 シドニー大会
- 車いすマラソン:銅メダル
●2004年 アテネ大会
- 5000m 金メダル
- 車いすマラソン 銀メダル
●2008年 北京大会
- 5000m 途中棄権(クラッシュ事故に巻き込まれたことが原因)
- 車いすマラソン 不出場
●2012年 ロンドン大会
- 5000m 6位入賞
- 車いすマラソン 5位入賞
●2016年 リオデジャネイロ大会
- 車いすマラソン 4位入賞
「車いすマラソン」はどんな競技?
42.195kmというフルマラソンと同じ距離を競技用車いすに乗って走ります。
3輪タイプの競技用車いすに乗って腕の力で車輪を回して走ります。
車体のコントロールが難しくコーナーなどで重心が不安定になることもあり、熟練した技術が必要です。
車いすマラソンの平均速度は時速 31.7km
健常者のマラソンの平均速度は時速 20.4km
車いすマラソンは健常者フルマラソンより、約10km近く早いスピードで走っていることになります。
土田和歌子さん、車いすマラソンでは世界記録保持者でもあります。
東京パラリンピックではもちろん「車いすマラソン」金メダルを目指しています!
《 その他の大会記録 》
- 2007年~2011年 ボストンマラソン車いすの部 5連覇
- 2010年 ロンドンマラソン 優勝
- 2010年 ベルリンマラソン 優勝
- 2013年 大分国際車いすマラソン 世界記録更新(1時間38分07秒)※自身の世界記録を12年ぶりに更新
- 2016年 東京マラソン 優勝(9連覇)
>>【パラ競泳】山田拓朗の障害の原因は何?イケメンの性格や結婚についても
土田和歌子さんの北京パラリンピックでの途中棄権の理由は?
2000年から夏季パラリンピックに出場している土田和歌子さんは、2004年のアテネ大会で金メダルを獲得しています。
金メダルの獲得は、冬季「アイススレッジスピードレース」ですでに果たしている土田和歌子さん。
冬季・夏季で金メダルを獲得した選手というのは日本人初という快挙。
しかし「アテネ大会」で金メダルを獲得した競技は「5000m」、目指していた「車いすマラソン」での金メダルは未だ獲得できていません。
厳しい練習を積んだ4年後の北京パラリンピック、「車いすマラソン」レース前日に悲劇が起こりました。
前大会で金メダルを獲得した「5000m」のレース中に前を走る選手たちのクラッシュに巻き込まれ大怪我を負います。
レースは途中棄権となり、土田和歌子さんは肋骨骨折の重傷、絶対安静で日本へ帰ることになりました。
北京パラリンピックでは「車いすマラソン」のスタートラインに立つことすらできませんでした。
怪我や年齢も考えて引退も頭をよぎりましたが、「車いすマラソン」で金メダルという強い想いが勝ち現役続行を決めました。
2012年「ロンドンパラリンピック」でリベンジを誓いましたが、ここでも先頭集団にいながら転倒するという不運に見舞われました。
諦めずにゴールし、5位入賞を果たしました。
2016年「リオデジャネイロ大会」では「車いすマラソン」4位入賞。
そして2021年、メダルに届かなかった気持ちを「東京パラリンピック」にぶつけます!
土田和歌子さん夏季大会で二刀流!「東京パラリンピック」で2つの種目に挑戦!
「東京パラリンピック2020」では再び「車いすマラソン」の日本代表選手として出場します。
さらに!「パラトライアスロン」の日本代表選手にも選ばれ、「夏季大会」で2つの競技に挑戦します!
土田和歌子さんのバイタリティの強さに驚きました!
ただただ「すごい」の一言です^^;
★追記★
●2021年 東京パラリンピック
- パラトライアスロン 9位
- 車いすマラソン 4位入賞
おめでとうございます!
ママアスリート土田和歌子さんの夫や子供について
2005年にセイコ・ハシモトインターナショナルコーポレーションの担当マネージャーの高橋慶樹さんと結婚。
2006年に長男が生まれています。
ちょうどアテネから北京パラリンピックの間に結婚しています。
北京パラリンピックでの不運のクラッシュ事故の時には夫婦でたくさん話し合ったと土田和歌子さん。
辛い時期に夫が支えてくれたことで引退はせず、現役続行という選択を取りました。
子供も生まれて子育ての大変さを感じながらも、競技への強い気持ちができたそうです。
競技と子育ての両立は簡単ではありません。
どちらも体を使うし、気を抜けない仕事ですから。
でも、家族はチーム。同じ目標に向かってくれる、ありがたい存在です。
ひとりより2人、3人と力が集まれば、大きな力になります。競技のパフォーマンスにもつながっていく大切な力なんです。
母となって良い方向へと気持ちが向いているのが素晴らしいです。
歴代のメダリストたちは家族がいることで競技への大きな力になっている印象が強いです。
家族を得たことは土田和歌子さんにとって競技へのモチベーションを上げてくれたんでしょうね。
これは障害者も健常者も変わらない気持ちじゃないかなと思います^^
まとめ
・土田和歌子さんは、高校2年生の時の交通事故で骨髄損傷となり車いす生活を送るようになりました。
・夫は2000年に所属していた先の担当マネージャーをしていた高橋慶樹さん、そして息子が一人います。
「車いすマラソン」で金メダルが期待されている土田和歌子さん。
土田和歌子さんがパラアスリートとして怪我やアクシデントを乗り越えられたのも家族がいたからだと思います。
「東京パラリンピック2020」では、土田和歌子さんの満足のいく結果であるように応援したいと思います!