越路吹雪の宝塚時代の人気や評判は?性格と私生活や退団理由も!

宝塚大劇場

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越路吹雪さんの生涯を描いだテレビ朝日のお昼の帯ドラマ「越路吹雪物語」

宝塚歌劇団で男役トップスターとして活躍していた越路吹雪さんの姿も描かれています。

宝塚時代の越路吹雪さんの人気ってどうだったの?性格や宝塚を退団した理由って?

越路吹雪さんの宝塚時代について調べてみました!

 

越路吹雪さんが男役トップスターになるまで

まずは、越路吹雪さんのプロフィールから紹介します。


出典:https://www.universal-music.co.jp/

越路吹雪(こしじ ふぶき)

  • 本名:内藤 美保子(旧姓:河野)
  • 生年月日:1924年2月18日
  • 没年月日:1980年11月7日(56歳)
  • 出身:東京都

宝塚に入ったきっかけは、歌が大好きな越路吹雪さんを見た父親が「思う存分歌える場所」として宝塚歌劇団の入団を薦めたことから。

13歳で宝塚歌劇団へ入団。宝塚音楽学校の成績は93人中73位というトップスターになるには難しいと言われるポジションでした。

15歳で初舞台。月組公演「宝塚花物語」でたんぽぽの精の一人を演じました。

宝塚で注目され始めたのは、19歳の頃。人気浪曲師の広沢虎造のものまねをしながら演じた「森の石松」でファンが増えていきます。

越路吹雪さんが20歳の時、戦争が激しくなり宝塚大劇場が閉館され、退団者が続出します。この時、宝塚に残ったことと注目されていたこと花組のトップスターとなります。

22歳、終戦後に宝塚が再開したときに主演した「ミモザの花」が大ヒット!「ブギウギ巴里」でレコードデビューも果たします。

26歳の頃、宝塚に在団したまま東宝映画など外部の作品にも出演をしています。

27歳の頃、帝劇コミックオペラ「モルガンお雪」という舞台に主演します。この出演で越路吹雪さんは日本のミュージカル女優第一号となりました。

1950年7月31日をもって宝塚歌劇団を退団。最後の公演は「春のおどり」でした。

>>【越路吹雪物語】音月桂の宝塚での人気や退団理由は?天代麗はどんな人?

越路吹雪さんは7年間も人気男役トップスターとして宝塚の舞台に立ちました。

戦後の宝塚の3大トップスターといえば、娘役トップの月丘夢路乙羽信子、そして越路吹雪といわれるほどの人気ぶりでした。

評判は、宝塚の教え「清く正しく美しく」とはかけ離れた私生活をしていたために「不良少女」と呼ばれていました。先輩たちからも目の敵にされるほど目立った存在として有名な生徒でした。

しかし、同期には優しくて頼りがいのある姉御肌な一面もありました。絶世の美女と言われた月丘夢路さんを妬みいじめていた先輩から守ってあげたというエピソードは有名です。

トップスターとなって7年間、ファンも多くいました。男役として舞台に出てはファンが増えていったといいます。

 

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越路吹雪さんの性格は?宝塚退団の理由も!

男役のイメージとは違って真面目女性らしい人でした。責任感が強かったことで戦後に宝塚を盛り上げるためのトップスターとしても適任の人でした。

越路吹雪さんの人柄と人気があってこそ宝塚は戦後も人気の劇団として活動ができていたといっても過言ではないと思いますよ。

そしてとても情に厚い人で、自分が苦しい思いをしても同期を助けたりと自分の大切な人のために行動のできる人でした。

>>宝塚歌劇団の音楽学校の厳しい校則とは?先輩のいじめは本当にあるの?

世間のイメージとしての「自由奔放」な越路吹雪は、宝塚の男役をやるためのイメージ!

男役を極めるために男性のような振る舞いをしていたことで「不良少女」というレッテルが付いてしまったのだと思っています。

本名の河野美保子としては、歌の好きな女性のままだったということなんですね。

 

退団してからシャンソン歌手としても絶大な人気でコンサートはチケット入手困難になるほどでした。

堂々とした歌い姿が当時の映像でたくさん残っていますが、極度のあがり症で舞台前は必ず背中に「虎」と書いてもらって「あなたは虎よ」と暗示をかけてから登場していたそうです。

 

宝塚歌劇団を退団した理由は、はっきりとは語られていません。

しかし、男を演じることに限界を感じていたのではないかと思われています。

「私は女よ。ただ男のお面をつけているだけ。」

そう言い聞かせて舞台に立っていたという越路吹雪さんは、女性として生きていきたいという思いが強くなったことで退団したのではないでしょうか。

そして宝塚から出た時に外の世界で今の自分は通用するのかと思い悩むこともあったのだとか。

ファンが求める「男役」としてトップスターを続けること、女性なのに男として舞台に立つ違和感を覚えてしまったのかもしれません。

 

この宝塚で育った環境は、退団後に女優・歌手として活動する越路吹雪さんを苦しめることにもなっていました。

恋人といわれた作家の三島由紀夫から「宝塚時代の男役の言い回しがつきまとっている」と言われてショックを受けたこともあるのだそう。

親友の岩谷時子さんは越路吹雪さんが「宝塚を忘れようとしていた」と言っています。

 

それでもファンは、宝塚での男役トップスター姿もシャンソン歌手として活躍した越路吹雪さんもどちらも好きだったんだと思います。

歌に生きる一生懸命な姿を、誰もが応援したくなる存在だったのだと思います。

 

まとめ


出典:https://ja.wikipedia.org

越路吹雪さんは、宝塚で男役トップスターとして戦後の宝塚3大スターとして人気者でした。

性格は、真面目で情に厚い人でした。男役を貫くために「不良」のような振る舞いをしていたのではと思われます。

宝塚の退団理由は、はっきりはわかりませんが女性として、そして宝塚を離れて歌や芸を磨きたいと思ったからではないかと思います。

戦後の宝塚の人気男役トップスターから、日本を代表するシャンソン歌手となった越路吹雪さんの魅力は計り知れないですね!

「愛の讃歌」や「ろくでなし」など、今もたくさんの歌手が歌い継いでいる名曲ですが、やっぱり原曲が一番ステキです!

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