本ページはプロモーションが含まれています。
「平昌パラリンピック2018」スノーボード 金メダリスト 成田緑夢(なりた ぐりむ)さん!
「東京パラリンピック2020」では、陸上走り高跳びの日本代表選手を目指していました。
兄に成田童夢さん、姉に今井メロさんがいるスポーツ一家の出身という環境で育ちました。
成田緑夢さんの障害の原因となった事故のことやパラ選手としてのイケメンぶりをまとめました!
目次
パラスノーボード・陸上選手 成田緑夢さんの障害の原因は?
まずは、成田緑夢さんのプロフィールから紹介です。
成田緑夢(なりた ぐりむ)
- 生年月日:1994年2月1日
- 出身:大阪府大阪市
- 所属:近畿医療学園
1歳のころから、父親が兄姉を指導する姿を見て自然とスノーボードを始めます。
小学校6年生の時、父の厳しい指導から兄姉が去ってしまいます。
ヒマを持て余していると感じた母が勧めたのがトランポリンでした。
そこからスポーツを再開、トランポリンの他にもスキー、スノーボード、ウェイクボードの練習に励んでいました。
成田緑夢さんが障害を負ったのは、2013年の3月のこと。
ちょうどフリースタイルスキーの世界ジュニア大会ハーフパイプで優勝をした一ヶ月後、スポーツ選手として最高の成績を残した後での事故でした。。。
トランポリンの練習中に足が滑ってしまったことで大きく体勢を崩しながら落下してしまいます。
練習のためにつけていた足首の20キロのおもりで思うように体勢を立て直せないままの落下でした。
通常ではありえない姿勢で落下をした結果、「左肩」が「左ひざ」に強く当たってしまいます。
「バキっ」という大きな音と一緒に膝が逆方向へ曲がってしまいました。。。
前十字靭帯・後十字靭帯の断裂、半月板の損傷、動脈の破裂で内出血という大怪我!
「歩けるようになるには20%の可能性です」
「切断の可能性もあります」
医師からの話はスポーツ選手として絶望的なものでした。
入院中は、激痛に耐えながら「少しの脱臼と少しの骨折」だと言い聞かせて気持ちを沈めていたそうです。
しかし、怪我の具合は良くならず手術4回、半年も入院という壮絶な闘病生活でした。
足は切らないでほしい
と父親が言ったことで足の切断という選択はしませんでした。
ですが、左ひざから下の感覚を失うという障害が残りました。
【パラ水泳】富田宇宙の障害の原因は?ブラインドダンスの実力もすごい!
成田緑夢さんの性格は?イケメンすぎる素顔!
障害を負ったことで、スポーツをする意味が以前と変わったという緑夢さん。
「自分がスポーツをすることで、誰かを励ませるかもしれない」
そう思えたことは、障害のある人からもらった「頑張っている緑夢くんに勇気をもらった」というメッセージから。
障害を持った後にもウェイクボードの大会で優勝しているという、驚異の身体能力!
その時にもらったメッセージは健常者のころの「おめでとう」というメッセージよりも心に響きました。
自分がスポーツをすることで誰かが元気になるということを、間近で感じたことで気持ちが大きく動いていきました。
リオデジャネイロ・パラリンピックでは、棒高跳びに出場しようとしましたが大会に間に合いませんでした。
その時に見たパラリンピックの選手たちの立ち居振る舞いが勉強になったという緑夢さん、この感覚があるということは立派なアスリートだと思います!
『結果を出した選手のインタビューの発言や振る舞いを見習いたい』と思ったのだそうです。
小さいころから父親の厳しい指導の元であらゆるスポーツの練習に励んできた緑夢さん。
友達と遊ぶことも我慢してひたすらオリンピックでメダルを取ることだけを目指してきた昔と、障害を負った今とでは気持ちがだいぶ違ってきているんですね。
成田緑夢さんは性格が良いというか、一流のアスリートという意識を学んで成長しているという風に感じました。
これからもっと経験したことが試合に出せる一流の選手になって、夏・冬のパラリンピックで活躍して欲しいです!
>>冬季五輪「スケルトン」どんなルール?選手のヘルメットが面白い!
2022年「北京パラリンピック」成田緑夢の出場は?
2018年に平昌パラリンピックの「スノーボード」で金メダルを獲得した成田緑夢選手。
2022年の北京パラリンピックの出場する?と気になっている人もいるかと思います。
成田緑夢さん、2018年の平昌パラリンピック後に「スノーボード競技」の引退を表明しています。
ということで「北京パラリンピック」のスノーボード競技への出場なないようです。
「北京パラリンピック」の日本代表選手の中にも「成田緑夢」の名前はありません。
2020年の東京パラリンピックでは「陸上 走り高跳び」の代表を目指していたので、陸上競技に力を入れていたんじゃないかなと思っています。
成田緑夢さん「東京パラリンピック2020」陸上競技「走り高跳び」に出場する?
成田緑夢さんは金メダルを獲得した「平昌パラリンピック」後、2018年にスノーボード競技の引退を発表。
その後、「東京パラリンピック」出場を目指すことを表明していました。
「パラ陸上 走り高跳び」の日本代表選手を目指していたのですが、2020年1月以来、大会へのエントリーがありませんでした。
「東京パラリンピック」があと2ヶ月と迫った2021年6月に行われた「パラ陸上・種目別記録会」に出場しました。
その結果は、東京パラリンピックの代表入りとなる基準に届くか届かないかという微妙な世界ランキング8位と難しい位置となりました。
そして2021年8月現在、成田緑夢さんの名前は「パラ日本代表選手」にありませんでした。
パラスノーボードを引退してパラ陸上 走り高跳びのトレーニングに専念してきたんですが、「東京パラリンピック」には出場はできませんでした。
成田緑夢さんのパラスノーボードの実力は?
成田緑夢さんがスノーボードを始めたのは1歳のとき!
それならスノーボードの実力は十分!と思われがちですが、パラスノーボード選手としてまだ不安はありました。
障害を負ってから出場した初めてのスノーボードのワールドカップでは4位入賞!
ですがこの好成績に全く満足できなかったという成田緑夢さん。
初めての世界大会出場で感じたパラスノーボード選手のレベルの高さに驚きました。
障害があるようには見えない他の選手たちの滑りに、本気モードになっていきます。
昔の感覚で滑ると転んでしまうので、義足の選手にコツを聞いては練習を繰り返しました。
その練習の成果はしっかりと成績に現れました!
2018年の北米選手権で優勝!
ワールドカップも2連覇するという成績!
さらに、世界選手権では3位!
そして2018年の平昌パラリンピックでは
- スノーボードクロス 銅メダル
- スノーボードバンクドスラローム 金メダル
という初めてのパラリンピックでメダル2個を獲得!
>>【東京オリンピック2020】公式ポスターのデザインは誰?職業や経歴まとめ!
まとめ
成田緑夢さんは、高校3年生の時にトランポリンの練習中に体勢を崩して着地したことで大怪我をし、左ひざから下に麻痺が残ってしまいました。
障害を持ったことでパラリンピック選手としての自覚が芽生え、一流のアスリートとしての立ち振舞を意識して成長しています。